201019 野田層群「大唐の倉」

 北三陸野田漁港の白い地層の目立つ「大唐の倉」は、平安末期「平重盛」の二庶子と唐のお坊さんが漂着し、長根の倉=断崖を伝って野田入りしたという伝承があります。


 「大唐」は、当時中国王朝の総称として使われ「倉」は崖・断崖の意味を表わしたようです。

 産金で名だたる気仙地方の黄金が中国内の仏教寺院高僧を通じて、時の王朝に寄進され平家安泰を願ったと言われます。


 八戸市の南郷区島森には「高松寺」があり、やはり平家伝説で清盛の子「平重盛」が今はダム湖となった集落に住んだ~という言い伝えがあります。また島森の龍興山神社には「平重盛」像が祀られています。


 この平家伝承については、また後で触れたいと思います。


 それで「大唐の倉」の白い砂質凝灰岩は、約6300万年前の火山灰が河川を通じて流入・堆積したものとされます。(白い凝灰岩=火山灰の分析 東京学芸大学・堀内順治先生)


 河川から海に流れ込む礫岩のサイクルが繰り返されるようです。今日は、波が荒く断崖に迫っていて漁港北から広内方面には抜けれない状況でした。


 第2サイクルの砂岩礫岩部分なのか、固く固結している層は波に洗われながらも、頑張って海に張り出しています。


 脚元の貝殻など拾ってみると、いろいろ有るもんですね!カサガイ、フジツボ、ホヤ坊や、アサリ?もありました。


 断崖のハマギクも北風の強い崖上では元気がありません。晩秋から初冬へ季節の変わり目ですね!

礫岩層と砂質凝灰岩層=大唐の倉

崩落しながら、また海に運ばれ海溝に向かいます。

ホヤ坊やも有りますね、ホタテの殻は意外と少ない!

 波打ち際の固い砂岩礫岩と火山灰を含む砂質凝灰岩(手前)

ハマギクというか「岩菊」ですね(笑)!

八戸市南郷観光協会の大看板~08年10月07日撮影

 正面は龍興山~急斜面を上った標高130mくらいの所に「龍興山神社」があり、平重盛像が祀られています。08年10月07日撮影

北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。