久慈市中町・道の駅くじ「やませ土風館」の西南角に曹洞宗「松峰山長福寺」の寺門があります。門をくぐって左右に「メタセコイア」がそびえたっています。
また、左手前には久慈市夏井町出身で晩年宇都宮に転居し、その地で亡くなられた郷土史家・田村栄一郎先生顕彰碑があります。
既に絶滅したメタセコイアの化石が、1939年三重県いなべ市で発見され、三木茂博士によりメタ=のちの、変わったという意味の名がつけられました。
その後、1946年中国湖北省で現生のメタセコイアが発見され、その子孫が様々な経路をたどり日本国内に移植されています。
2016年には当時筑波大学在学中の現福島県立博物館副主任学芸員・猪瀬弘暎氏により、福島県広野町・双葉層群足沢層中のメタセコイア球果化石が発見されています。
この球果化石は、国立科学博物館・矢部淳博士鑑定により、日本最古=中生代白亜紀後期コニアシアン期(約8980万年~8630万年前)のものと発表され、2021年国立科学博物館企画展で公開されました。
白亜紀後期の久慈層群や種市層群ではどうかと言うと、残念ながら明確なセコイア、メタセコイア化石は過去に発見されていません。これは調査の範囲が限定的・部分的だったり、分析手法が整備されていなかったことなどにもよります。
近年の早稲田大学「平山調査団」~中央大(現静岡大)ルグラン・ジュリアン、西田治文両博士による最新の花粉分析などでも、サンプルエリア・時代・サンプル数不足等もあるのか確実な報告は見られません。(2019年)
大沢田川支流域の調査現場(玉川層上部)からは、圧倒的に裸子植物花粉が多様で、他調査 Miki(1972)、 梅津・栗田(2007)に比し白亜紀登場の被子植物が少ないようです。
ただし、球果目として「ケイロレピディア科またはボルトジア科、イチイ科またはヒノキ科、ナンヨウスギ科またはマキ科の花粉」を上げていて、この中にセコイア・メタセコイアが入っている可能性もあります。現物化石が出てくればまた確実ですね。
もちろん琥珀の元となった樹脂を分泌するナンヨウスギ科アラウカリア類は、花粉と葉化石が報告されています。
参考 : 現生のアラウカリアについてペンシルバニア州立大Francisco Tutella氏の報告
◎New Argentine fossils uncover history of celebrated conifer group by Francisco Tutella, Pennsylvania State University
https://phys.org/news/2020-06-argentine-fossils-uncover-history-celebrated.html
今後の久慈・種市層群調査に期待したいものです!
長福寺のメタセコイア球果 2021年12月
曹洞宗松峰山「長福寺」左右一対のメタセコイア樹幹~すでに落葉しています。
寺門左の郷土史家・田村栄一郎先生顕彰碑
周囲は落下した球果がいっぱい!
右手公園側のメタセコイア新芽?
👆「種市ふるさと読本 化石編」1986
種市町教育委員会刊 P21
セコイアは常緑で互いに生える「互性」、メタセコイアは落葉で対になる「二列対性」の葉を持ちます。
種市(洋野)の化石は互い違いの葉に見えますが、果たしてセコイア?メタセコイア?それとも他の松柏類?~結論は出ていないようです。
〇 福島県立博物館・猪瀬副主任による2016年発見「国内最古のメタセコイア球果」については、以下の福島民友新聞社~「福島民友ニュース 2021年1月20日 9:05」記事を参照ください。
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