180623 「海女ちゃんと行く!おためしジオツァー!」

 三陸ジオパーク北部ブロック久慈地域を中心とした「北三陸認定ジオガイドクラブ」がスタートしたことは、お知らせしましたが、今回6月23日久慈市地域おこし協力隊の「海女ちゃん」協力で「あまちゃん街道」を巡る「おためしジオツァー」を企画実施しました。


 岩手復興応援隊や市の関係者、久慈市民ガイドの会メンバーなどガイドと併せて15名ほどで快晴の久慈~小袖海岸を廻り、帰着後市役所近くの「きよ田」さんでお昼を取りながらジオパークやジオパークツァーなどについて懇談しました。


 今回は、認定ガイドの藤織・田高・島川3名が同行し、三陸ジオパークの北部北上山地と南部北上山地の成立ちの違いについて、広野面や三崎面、麦生面など200m級の海成段丘の出来たわけ、久慈湾に流入する長内川・久慈川・夏井川の蛇行によるこれらの下流域・河口域は常に水災害に見舞われる湿地帯で居住に適さない場所だったことなどを解説しました。


 かつての「常盤商会」や「川崎製鉄」久慈工場の操業により河川下流域が開発され、昭和30年代後半から徐々に住宅や水産加工事業所・工場が建てられ「掘り込み港湾~久慈港」建設着工~開港!で久慈川河口以南の久慈湾沿岸が急速に開けてゆくといった経緯についても話させていただきました❗


 久慈港そばの「JC公園」に設置された東日本大震災の三角錐モニュメント・ケルンの高さは「2011年3月11日午後2時46分久慈南海岸に襲来した大津波の高さと同じ14.5m」を示していること、明治29年6月の「明治三陸大津波」では波高23mを越えたこと、丘陵を駆け上がる波は30数m以上になることなど、地震と津波また水災害に常に見舞われてきた久慈湾・三陸海岸について、より一層の防災意識向上をお願いしました。


 久慈湾に面した高台には、夏井町の「若宮神社」が標高30m強、湊町の「金毘羅神社」が約40m、久慈港南側の「諏訪神社」は42mの高さにあり、いずれも津波を十分に回避できる場所に鎮座している。これも先人の教訓なのであろう。


 かつて祭礼日には八戸藩主の祝いのお使いがあったという「諏訪神社」には義経北行伝説が伝わる、即ち「諏訪神社の久慈川を越えた浜道を北に向かう義経一行に向け、追手の畠山重忠の放った矢が松の木に当り、落ちた矢が諏訪神社に奉られている」というもの、現地には「源道」という地名があり関連がうかがわれる!

 

 また諏訪神社には江戸高来氏寄進の「竜宮図志度の海士図」の木製額絵が奉納されている。

 香川県旧志度町のお寺に伝わる伝承で藤原氏一族と現地海女との関係を示すものだが、この「北限の海女」の地の著名神社に「江戸高来氏」という廻船業者らしき人物から寄進されたことは不思議な縁を物語っている。


 久慈港から小袖港めざし海岸を南下する今回のジオツァー、観光海女で新ジオガイドの藤織、認定ガイドの田高2人が奇岩景勝の「兜岩」「釣鐘洞」「浄土が浜」「浄土の穴」「夫婦岩~柱状節理」「小袖の海女の由来、海女漁について」「NHK朝ドラ」などなど交互に解説し、小袖海女センターで休憩後帰路に就いた。


 海岸の「ニッコウキスゲ」は今が最盛期で、まもなく「スカシユリ」の咲く時季を迎えます。


 藤織ガイドの海女ちゃん潜り現場の解説や田高ガイドの昭和TVドラマ「柔道一直線」撮影現場の海岸の話などユニークな話題の提供もあり、あっという間の久慈市役所前帰着解散となりました。

 参加していただいた市民・関係者の皆さん大変ありがとうございました。


 今回いただいたアンケートも参考にしながら、足らない部分、手直しの部分などなどジオガイドクラブとして「ふり返り」ながら次に生かしてゆきます。

 今回藤織ジオガイド(久慈市地域おこし協力隊)の声掛けで久慈市さんがバスを手配してくれました。ありがとうございます!


 現状公的支援の無い活動ですが、誰かが動かないと「三陸ジオパ―ク」が皆に見えないんです( ´艸`) !? 

 誰の仕事だ~いや~あっちだこっちだと言ってる間に夏~活動盛期となります。

 そして秋になり~年が変わり~年度が替わり「2020東京」の前年になってしまいます。


 ジオパークで三陸の復興と連携を示しましょう!ご支援よろしくお願いします!


 北三陸認定ジオガイドクラブ(島川)


*最後は昼食会で和やかに〆ました。皆さん「三陸ジオパーク」をよろしく!


「じぇじぇじぇ」で記念写真‼

北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。