181124 北いわて普代村・ジオトレイルツァー前編~県北広域振興局主催

 11月24日(土)岩手県県北広域振興局主催の「北いわてジオ・トレイルツァー」が開催されました。


 9:30三陸鉄道普代駅前に集合の参加者は、軽い準備体操とツァーコース・タイムスケジュールを確認しスタート、国民宿舎くろさき荘のバスで山間部に盛岡藩時代の文化・文政期およそ15年間にわたって操業された盛岡藩直営のたたら製鉄遺跡「割沢鉄山」へ向かう。


 岩泉の鉄山経営者·中村理助が藩命により開山経営し水戸出身の徳島屋·小松貫平がたたら製鉄技術者であった。その鉄山の年間生産量は平均400㌧と大規模なものでした。


 中村屋の南部鉄は宮古鍬ヶ崎「小松」経由で相馬湊や常州平潟湊の小松系南部鉄問屋から北関東、福島内陸に運ばれ、鍛冶屋で農具などに加工し販売されたという。


 この鉄山にちなみ萩牛地区で村生活研究グループが手掛けている「鉄山染め」特産品生産施設を見学、割沢鉄山について北三陸認定ジオガイドクラブの金久ガイドと普代村担当課の前川さんが担当、コースの要所要所でジオ解説を行いました。

24日のジオトレイル行程です😱

11月25日 岩手日報紙面

割沢鉄山の説明~金久ジオパークガイド
 鉄山染めについて生活研究グル-プ熊谷さん、普代村役場前川さんの紹介

 鉄山染めについてはグループの熊谷さんが染め物作業の手順から製品が出来上がるまでの説明をしていただき、ハンカチをお土産にいただいてバス乗車、萩牛地区西側の風化した花こう岩の白マサを確認、沢沿いの「割沢鉄山跡」を確認しながら、次のウォーキング地「鵜鳥神社」へ向かいました。

  沢沿いの「割沢鉄山跡」 赤い屋根の建物辺りが高殿(たたら製鉄炉)跡という。

 平成19年7月8日付岩手日報では、鍛冶炉四基、炉の上屋とみられる建物痕跡、土製ふいご送風口(羽口)、鉄滓(てっさい=鉄かす)、鍛造剥片、鉄滓流し場、陶磁器など日常生活用品も見つかったといいます。

 鵜鳥神社前

 神社では、熊谷宮司の出迎えを受けて本殿までの急坂を登り、黒崎方面の地形や晴れて青々とした太平洋の海原~行交う船舶など見ながら、続いて北側の鵜鳥神社本殿まで辿り、奥宮から北・北東側の野田村十府ヶ浦や根井地区当たりの眺望を楽しんだ。


 800mも1000もの高さではないが、落ち葉に覆われた急こう配の参道は日頃の運動不足にとっては苦行の道(笑)、帰路は夫婦杉の老大木など見ながら、社務所にやっと到着となりました。

 杉皮の模様が絵画みたいな面白さ👍
樹齢500年以上~~〽
 急な坂を皆さんまっしぐら👏
 黒埼の断崖と段丘が見える🌅

 鵜鳥山 石段供養塔裏山から見える普代浜(左手の海に開けた部分) 右手には黒崎の海成段丘と過去の火山活動で90℃直立してしまった断崖絶壁やネダリ浜突端の白い弁天島も見えます。

 沖を航行する輸送船など2隻が北へ向かっています。

 鵜鳥神社本殿

 左手に普代~野田~久慈にかけての山並みが見え、左奥に久慈平岳・階上岳も確認できます。北部北上山地特有の海成段丘 水無面、広野面、三崎面などがパノラマ展開ですね(笑)

右手奥は野田湾~十府ヶ浦~大唐の倉~久慈市久喜・三崎です。

 やっと昼食~「くろさき荘」さん調製の「鵜鳥神楽御弁当」+鮭汁お振舞いです。

 一口~二口食べだしたら、もう御神楽の舞はじめ、今日は「岩戸開き」と「恵比須舞」の二演目、時間のないことでしょうがないけれど味わう方は注意散漫(笑)、皆さん次第に神楽に夢中になっていたようです。

 勇壮な舞「岩戸開き」今回はここまで、次回は昼食と御神楽鑑賞で鵜鳥山を降り~普代水門~普代浜~浜の産直~黒崎漁港~遊歩道~ネダリ浜~黒崎展望台~くろさき荘までの後半コース、余力が残っているのか皆さんどんどん前に進みます。

 久慈市宇部町出身の歌人「小田観螢」=第1回北海道文学賞受賞者、が帰郷した折に4人の姪を詠んだ歌碑、神社鳥居左手前にあり。

故船村徹さん作曲歌碑!


北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。