181124 北いわて普代村・ジオトレイルツァー中編~県北広域振興局主催

 鵜鳥神社社務所で、くろさき荘さん調製の仕出し御神楽弁当をいただきながら、「岩戸開き」「恵比寿舞」を鑑賞。

 勇壮な岩戸開きの舞に続いて恵比寿舞を上演~今回は、この二演目です。

  お恵比須様も釣りはずし?鯛が利口だったのか? ツァー参加女性と一緒に演じるなど長丁場で多少お疲れ気味(笑)!

 神楽保存会の皆様、ありがとうございました!

 昭和59年、国県事業総工費35億円余りで完成した「普代水門」


 明治29年三陸大津波など二度に渡り津波災害を受けた普代村、昭和8年3月3日の大津波を普代の街中で経験、その惨状を目の当たりにした故和村幸徳村長は「二度あったことは 三度あってはならない」という強い意志をもって、粘り強く国県と交渉を続け念願かなって建設された「普代水門」「太田名部防潮堤」。


 この二つによって、東日本大震災時も普代村中心部の街並みと太田名部の集落が守られたことになります。


 もちろん東北太平洋沖地震に伴う大津波の来襲が予想され、当時水門の閉鎖に向かった消防分署職員の地震によるトラブルへの迅速な対応により無事に〆切られ、普代川を遡上する津波の威力を押さえたと言われます。


 去年から普代浜にオープンの「浜の産直きらうみ」🐙

 大田名部防潮堤を見下ろす金毘羅神社「文久三年六月 再建 大村氏」とある。

 この下、防潮堤右内側に太田名部集落。海岸縁のどの漁業集落でも、神社は津波災害の及ばない高い場所に鎮座する!

大田名部漁港内の「お恵比須さま」見つけ~!(笑)

 陸中海岸国立公園の普代村までの拡大で増大する観光客の利便性を考え、観光ルート整備、田野畑村羅賀~北山崎~黒崎~普代村間の交通難所解消も兼ね、昭和49年開通の「北部陸中海岸有料道路シーサイドライン」(昭和58年県道に切替)から下り黒崎漁港へ、太古の火山活動の痕跡を残す黒色岩塊などが見られます。

 黒崎漁港奥から自然歩道へ、周囲の岩はチャートや火山変成岩など階段左下には曲がりくねった岩石の層が見えます。ネダリ浜までは1kmもありません。

 風雨の激しい場合波も高くなりがちです!歩道が高波を受ける場合がありますので、事前状況確認をお勧めします。

 小さな海食崖洞窟と直立し、時として褶曲する地層や岩石

 珪藻類や放散虫などガラス質をもった生物・プランクトンなどが海底に堆積し「チャート」という岩石になり,陸に押付けられます。これが熱と圧力でマンガン鉱物になります。☞マンガンバラ輝石

 漁港から遊歩道(トレイルルート)を黒崎展望台下の「ネダリ浜」に向かいます。

以下後編に続く。