12月19日水曜日、三陸ジオパーク北部ブロック認定ジオガイドの島川と金久が、いわて復興応援隊の町田・新井田隊員とともに宮古市浄土ヶ浜の三陸復興国立公園ビズィターセンター(VC)を訪ね、認定ジオガイドも兼ねる佐々木洋介さんの案内で浄土ヶ浜を巡りました。
東日本大震災翌年(2012年3月)みちのく潮風トレイルロードスタート直前、全国のトレイルファンや東北環境事務所関係の皆さんと一緒に、浄土ヶ浜~姉ヶ崎~中之浜~三王岩~真崎間を二日掛けて歩いたのですが、その後は研修で何度か訪問、今回の様にガイド付きで浄土ヶ浜をゆっくりまわったのは、久しぶりでした。
かつての遊歩道は沈下して、新しい道に切り替えられた部分も大部あり、震災後から更に環境整備が進んだようです。
ただ様々な周辺環境の変化=防潮堤・防波堤整備・漁港施設整備などにより、海流の流れや速度・流入する波の角度・強弱も変わってしまい、浄土ヶ浜に敷き詰められた白い流紋岩が波打ち際で抉られ、海に向かってきつい傾斜となってしまったようです。
抉れを防ごうとした構造物も高波で損壊するなど、手強い波の力も感じます。
浄土が浜の白色の岩は、約4000万年前の火山活動で、地下でゆっくりと丸餅状に上昇形成されたガラス質成分の多い流紋岩です。
遊歩道の笠揚げした擁壁=ようへきや、そこここの岩を良く見ると冷え固まる前の流れるような紋様(流理構造)、空気の抜けた穴(気泡)が見えます。
また、縦に割れたり横に割れたりする節理が見られ、瓦の様に剥がれる部分もあります。
更に圧力の掛かり方、急激な冷却のせいか細かくビッシリと割れの入った部分もあります。或いは枕状熔岩の断面みたいな模様が確認される場合もあります。
丸い餅状にゆっくり地下から押し上がる際に、周囲の岩石との境界部分などでは中心部と温度、圧力、冷却の時間などが違ったり、地上での風化の仕方が違ったりするのかも知れません。
雨風や波、或いは数えきれない震災の影響を絶えず受けて来た、この世の物とは思えない浄土が浜の景観~ガラス質の固い部分が鋭く残され形成されたようです。
波で削られたのか、陽の光りを浴びて白く輝きを増す流紋岩の風景·浄土が浜、佐々木洋介ジオパークガイドのお話しは、まだまだ尽きないのですが、予定時間となり、最後に幕末異国船警備の砲台場~御台場公園から浄土が浜や「血の池」、重茂半島の岬、宮古湾内での官軍と幕府軍による洋式海戦記念碑なとを確認し、ジオパークガイドによる解説会を終えました‼
およそ1時間ほどの案内解説後は、VCの小上がりで懇談し、ジオパークや三陸復興国立公園・みちのく潮風トレイルなどを中心に意見交換しました。
三陸復興国立公園、みちのく潮風トレイルロードは三陸ジオパークエリアやジオサイトと重なり合う部分が多く、優れた景観はとりもなおさず大地の仕組みによるものです。
2017年三陸ジオパークフォーラムでも、環境省佐々木係長がジオパークと自然公園について大講演していただいたわけですから、今後とも互いに連携してゆくこととして、ご挨拶を兼ねたガイド解説会・懇談を終えましたた。
解説会に参加していただいた三陸ジオパーク推進協議会の鷲塚さん、佐藤さん、田高さん、解説の浄土ヶ浜VC佐々木さん、ありがとうございました。(認定ジオガイド 島川)
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