2011年3月11日東日本大震災·大津波をかむりながらも残された十府ヶ浦の「東屋」!
なだらかなマウンド状、ある程度の高さもあって、押し寄せる波·引き波や沖へ流される家屋、木々、岩石、コンクリ、瓦礫など~あらゆるものに負けずに残ったのは偶然なのか奇跡なのか?
3・11 押し寄せる大津波は、野田村の中心商店街、民家、事業所などを呑込み、野田村役場や愛宕山神社下、R45号道の駅の敷地にまで達し、500数十件の家屋・事業所建物が全損壊の大災害となった。
多くの家屋が押し流され、あっという間に市街地をズタズタに掻きまわしてしまった。三陸鉄道のレールが大きく西側に流され、米田地区の堤防上でも軌道ごと押し流されていた。国道を走行中のトラック毎陸側に流されたケースもあった。
数日前まで、何気なく見ていた風景が一変し、三陸海岸には珍しく平地の広がる野田の街並みが瓦礫の山と化してしいた。
以後8年の歳月を経過して、様ざまな復旧・復興工事が進捗し、前に向かって進む希望の陽ざしが見え始めた初春、震災を生き延びたクロマツも30本近かったが、数年で枯れてしまったり工事の関係か?今は10本ほどが残るばかり。
平成31年(2019)元旦、年末からの穏やかな年の始まり、この風景が末長く続くよう祈念するばかりです🙆
平成31年ですが、次の元号は?まだ分かりませんね!
今年も日本の「ジオパーク運動」をよろしくお願い致します。
三陸沿岸がある程度の塊となれますように、三陸鉄道「リアス線」も久慈~大船渡間一貫運行が始まります、三陸沿岸道路ももう数年で八戸~気仙沼間全通となります。
三陸の復興と連携を「ジオパーク」で示しましょう!
今年も、ご指導・ご支援・ご協力のほどよろしくお願い致します。
明内川の水門と東屋~右にクロマツが1本
十府ヶ浦の東屋、手前に三陸鉄道北リアス線、国道45号より。
左手前にクロマツ、その向こうは大唐の倉=野田層群(平成31年元旦)
野田村のトレイルマップです。
「ほたてんぼうだい」=十府ヶ浦公園から野田湾、大唐の倉、久慈市三崎海成段丘を一望。(2018年11月)
津波記念碑と遊歩道~十府ヶ浦高台より。(2018年10月)
普代川に架かる国道45号線の橋、普代村落合集落北、現国道の上をトンネルと高架橋で越える建設中の三陸沿岸道路❗(平成31年元旦)
岸辺から氷り始めた普代川。昭和40年頃、鮭や鱒が、この川の小さな支流にまで遡上していた。
三陸鉄道北リアス線普代駅に併設~ふだいのアンテナショップ「あいで」~平成31年1月1日夜
三陸ジオパーク案内板~三陸鉄道普代駅
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