190228 オフィシャル・ジオガイド研修会~三陸ジオP北部B会議

 今日はもう3月弥生ですね!平成30年度も残すところ30日、そして平成も終わりますね。


 2月28日三陸ジオパーク認定「ジオパークガイド」研修会を実施しました。


 昨日8日は日中6℃、久慈~野田~普代のジオサイト巡りは海岸中心なので、吹き付ける浜風がやや冷たい。陽射し弱く200m近い黒崎の段丘上から白いモヤ靄の北部北上海成段丘・山並みぼんやりの風景でした。


 今回の研修会、認定ジオガイドを中心に八戸・久慈エリア~岩泉~宮古~大船渡など、ジオパーク関係者、観光協会さん、復興応援隊さん、ジオサポーターさん、環境省自然保護官事務所さん、三陸ジオパーク推進協さんなどなど20数名の参加をいただきました。


 特にも、碁石海岸インフォーメーション・センターのお二人さん、朝5時スタートで大船渡からの参加、ありがとうございました。


 久慈市役所駐車場から10:10スタート国道45号を南下、普代村黒崎展望台から岩手県立博物館望月貴史先生(第3学芸部学芸員=博士、三陸ジオパーク学術指導員)の解説で、北部北上帯·海成段丘地帯の景観を確認、その後野田村十府ヶ浦の「ツブタ浜」米田海岸に向かい、到着後「津波堆積物層序」剥ぎ取り標本を制作した現場の地層観察を行いました。

 環境省宮古自然保護官事務所のレンジャーさんも朝の所用が済み、ここで合流です。


 この場所は、北海道奥尻地震発生以後に北海道大学名誉教授の平川一臣先生が道内特に千島海溝沿岸・東北太平洋・東北日本海沿岸の津波堆積物調査をライフワークとする調査中に発見したもので、かつて宮古沿岸など共に調査した盛岡市立高・小野寺弘幸教諭、元岩手県博大石雅之学芸部長の紹介で北三陸ジオパーク推進連絡会や野田村津波語り部メンバーとともに確認「観察会」を行った経緯がありました。


 岩手県沿岸で最も良好な「約7,000年間にわたる津波堆積物層序」として野田村に保存要望してきました。

 研修会では、津波堆積物を初めて見る方もいて、新しい視点での「津波」痕跡のとらえ方を知っていただきました。


 この後は、浜を南進して白亜紀後期のモデル的地層=久慈層群の玉川層・国丹層の様子、琥珀や動植物化石、魚竜・恐竜など古脊椎動物化石などなど解説していただきました。


 浜では、赤茶色の海藻「ふのり」採取が始まっていて、春らしい風情が感じられました。


 半年ぶりの観察でしたが、米田浜から玉川浜への波打ち際の遡行不可現場までは、崖斜面が大きく崩落の部分もあり、様相の変化には少し驚きました。


 日本列島北東北は、東西に架かる圧縮力が大きく北部北上帯沿岸では緩やかな上昇傾向だが、同時に久慈市三崎漁港辺りから~野田村下安家辺りにかけて常時海に向かって崖の崩落などが見られます。


 つまり陸地が上昇しながら太平洋に向かって動いているとも言えます。北部北上山地内陸のある部分は、過去12万年間に約50mの上昇という調査結果もあるようです。


 研修会参加のガイド一行ですが、米田浜の観察で大きく時間オーバーし、お昼は「道の駅・のだ」で各自急ぎ昼食、野田漁港脇の野田層群モデル「大唐の倉」の白い火山灰の堆積・下部の河川から運ばれた礫岩・礫と礫の間の砂岩などや植物化石などについて説明を受けながら、海岸沿いに久慈地域「海女の発祥地」宇部町久喜集落の坂を上り三崎一帯約190mほどの海成段丘に達する。


 これからこの段丘を降って同じ北側の宇部町小袖漁港へ向かうが、近年は段丘南の久喜・北の小袖両地区の小学校が海岸部から段丘上に移転し、両集落の人達も三崎段丘上の県道および両小学校周辺に家屋を新築する状態が続き、かつて江戸寛政10年(1790)に高山彦九郎という人が洋野町大野経由で久慈八日町や小久慈日陰・赤川流域の琥珀坑道、長内~野田十府ヶ浦∼玉川・西行屋敷~久喜~小袖から久慈の街へと辿った様子を後に「北行日記」に記している。


 北行日記では、久喜・小袖両集落が共に20~20数軒で三崎の段丘上には、現蒼前神社近くに人家2軒のみと記している。

 その時代から見れば、ちょっと前までの「建築ラッシュ」など想像もつかないことだったでしょう。

 

 昼食後駆け足で北上しながら、段丘上から小袖沢沿いに下り「あまちゃん」ロケ地となった久慈市小袖漁港=袖ヶ浜入り、夫婦岩の柱状節理(鉛筆を束ねたような柱上の岩)やほぼ小袖沢を境に北側が花崗岩で出来ている岩礁地帯、南側は三崎漁港にかけて酸性火山岩地帯であることなど確認、海女センター屋上からも夫婦岩の形状や小袖漁港周辺の景観を展望した。

*続きます!



 黒埼展望台·普代村から、北部北上帯の海成段丘などを解説する岩手県立博物館の望月貴史先生=三陸ジオパーク学術指導員。
 晴れた日の景観~久慈市宇部町三崎から広がる海抜190mほどの海成段丘が見えます。
 北三陸ジオめぐりマップより
 縄文時代から現在まで約7000年間にわたり、およそ18層ほどの津波堆積物を含む層序(十府が浦)
 砂岩中の虫🐛の跡が残る生痕化石
 奥は玉川海岸=琥珀を産する白亜紀後期の久慈層群玉川層、右手前は国丹層。

米田浜~玉川海岸の波打ち際、微生物の働きでこんな風に発色~バクテリアか⁉久慈湾水尻澤にも!

海藻「布海苔=ふのり」採り浜のお母さん! 味噌汁・お吸いで美味しくいただけます!

  皆さんメモを取りながら熱心に~ここは久慈層群国丹層の部分。

 柱状の摂理が見える夫婦岩~鉛筆を束ねたように重なっている~男岩・女岩に架かるしめ縄は、東日本大震災時の大津波でも切断されずに残った!

 小袖漁港の夫婦岩=柱状節理(四~六角形、夫婦岩は殆どが五角形)
 久慈市半崎の古第三紀野田層群、大唐の倉一帯などと伴に国内でも数少ないモデル的な堆積地層。

 白っぽい凝灰岩層の上に炭層(亜炭)が見えます。時として、炭化木が見えたりします。

 この右手奥には、かつての久慈粘土採掘跡が、遠目にもはっきり見えます。

 久慈市地下水族科学館「もぐらんぴあ」~3Fあ~すぴあ、今日の振り返り、疑問点の確認、ジオパークガイド同士の情報交換を30分
 著:朝日小学生新聞、朝日学生新聞社刊の「ボク、もぐらんぴあ 応援団長はさかなクン」~平成31年1月31日出版
 久慈市地下水族科学館「もぐらんぴあ」宇部修館長さんからも、もぐらんぴあ周辺景観資料提供と新刊本の紹介などを兼ねて、ご挨拶いただきました。