190303 岩手日報社「ひと」欄~三陸ジオパーク認定ガイド紹介!

 3月3日付岩手日報紙に、北三陸認定ジオガイドクラブの金久由美子が紹介されました。

 記事を読んでいただければ、お判りになると思いますが、茨城県の久慈郡出身です!


 久慈川もあれば、旧久慈町もあったと思います。縁がありますね、盛岡南部で水戸から奥様がお輿入れしている殿さまもいらしたと思います。


 大島高任が、釜石で洋式製鉄を始める前に、苦難を重ねて水戸に反射炉を作っています。


 また、東廻り海運で、盛岡藩・八戸藩の物資が領内から~石巻日和山~仙台荒浜~相馬~平潟~那珂湊を経由し、那珂湊上陸後~霞ヶ浦~利根川を遡り~江戸湾へ下るという初期の輸送ルートに当たります。


 のちには鹿島灘を越え、銚子川口から利根川入り、幕末には伊豆諸島~三浦半島経由で直接江戸湾に入るようになります。


 福島県いわき市に隣接して、現北茨城市の平潟港があります。ここは三方を陸地に囲まれたコの字型の天然良港、風待ち・波待ちの東日本を中心とした諸藩の廻船で賑わったと言います。


 この平潟に南部鉄の移入問屋を開設したのが「小松」で、盛岡藩直営の「割沢鉄山」を始め岩泉町~北三陸で「たたら製鉄」事業の技術師を務めた水戸出身・徳島屋の系統なようです。


 平潟港の「小松」を経由した南部鉄は、福島県内陸~北関東に運ばれ、各地の鍛冶により農機具などに加工されたと言います。


 海運については、東日本各地(全国)湊々の記録を丹念に調べれば、人や物·文化の流れがわかってくるのですが、時間と脚代のかかることです。


 銚子川口の難所で、南部船の難破があったり、ヒゲタ・ヤマサ・キッコーマンなど有名な醸造業が利根川沿いに多いことも東北諸藩が供給する大豆などに由縁があります。


 話が逸れ気味ですが、ゆかりの地の「茨城県北ジオパーク」さんの300名を越えるインタープリター(ジオパークガイド)が結束して、「取消し」中の日本ジオパーク再申請を決議し現地ジオパーク構想推進協議会へ申し入れしたと聴きます。


 三陸ジオと海でつながる「茨城県北ジオパーク」構想さんが、茨城県北の地域連携と振興になくてはならないジオパーク運動を継続し、再度日本ジオパーク認定を勝ち取り善き前例となって欲しいものです!

北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。