12月19日㊏ 久慈市情報交流センターYOMUNOSUを会場に、彦九郎来久慈230年を記念した勉強会がおこなわれました。
道中久慈に5泊し、小久慈村日陰の琥珀山や野田玉川の西行屋敷跡を訪ねるなど、当地域に大きな足跡を印しています。
特にも小久慈日陰村(現日吉)の赤川琥珀山坑道に入り、掘り出した琥珀の地層を観察するなど、その様子を「北行日記」に詳細に記しています。
京大阪などで有名な南部の「琥珀の邦」を訪ねて、当時の八日町や大神宮の宵宮や十府ヶ浦での潜りの様子、小袖浜から海産物を行商に来た「海女」?との語りなどを鮮やかに表現しています。
また、道中に詠んだ彦九郎の歌碑なども小久慈日吉や久慈大神宮に建立されています。
19日17:15より主催者「くんのこほっぱ愛好会」黒沼会長が、記念すべき230周年のコロナ禍の中「ささやかですが久慈と京大阪を繋いだ高山彦九郎来久慈230周年記念の印として今日の勉強会・講話会を開催」する意義を示し、続いて久慈市教育部長・千葉啓蔵氏より「彦九郎の足取りをたどる講話」をいだきました。
千葉教育部長は彦九郎の辿った道程を資料で示しながら、北行日記(田村栄一郎著)に沿って彦九郎の足取り、日々の出来事について詳しく解説していただきました。
その後、黒沼会長と共に彦九郎のみちのりを確認した島川理事=三陸ジオパーク認定ガイドが、現地スライド写真の上映と説明を行いました。
師走の忙しさのただ中、主催の「くんのこほっぱ(薫陸=琥珀採掘場)愛好会」会員や共催:九戸歴史民俗の会、北三陸ジオパーク推進連絡会、認定ジオガイドクラブ始め観光関係者、市職員など20数名の皆さんに聴講していただきました。
高山彦九郎と琥珀については、今後とも折に触れて紹介してゆきたいと思います。
「北行日記口語版 高山彦九郎と琥珀の邦」著者∶田村栄一郎は、くんのこほっぱ愛好会が平成18年に刊行した小冊子です。
久慈広域市町村の各図書館に寄贈していますので、ぜひお読みください。
事務局(久慈市中央3丁目 久慈ステーションH内 53-5281桑畑)に残部がいくらかあります。ご希望の方はお問合せ願います!
12月19日㈯ 勉強会・講話会始まります!司会は桑畑理事にお願いしました。
「西大野」の蔵屋=名主吉三郎
くんのこほっぱ愛好会:黒沼会長挨拶
勉強会前に、1F StAND HIBIKIさんの「黒豆チーズケーキ」をごちそうになりました。おいしいですね!アッサリしてるけどコクがあって黒豆入り、おすすめです!
写真撮影時マスクを外していただきました!
*彦九郎研究会会報より
久慈大神宮の彦九郎歌碑
「千早振(ぶる) 神代のことを 伝えてや 庭火たきつつ 祭りをそする 正之」
北三陸市~北鉄~「袖が浜」ジオラマ健在!
千葉教育部長ご講話ありがとうございました!
久慈市小久慈町日陰(現日吉町)の歌碑
「山深く わけ入りてこそ 光ある 玉の有りども 知らるるものを 正之」
彦九郎の足取りを地図に入れてみました!©GSI Maps.島川
締めは上山副会長!
彦九郎一ッ橋歌碑~R45号泉沢川のたもと(左岸)にあります。©2006年1月撮影
「年経れば かわれるものや 今野田の 入江もなみの 磯となりけり 正之」
松峯山長福寺の郷土史家 故「田村栄一郎先生」顕彰碑~郷土に誇りを!
「猶ヲ北へ浜を行きて、魚屋ある所にて小川を渡りて、絶壁数十丈岩薄青くそありぬ。これを~」~絶壁数十丈岩薄青く~は「大唐の倉」のことですね!
東日本大震災後の大堤防完成後もかわりなく、青い海~寄せては返す波~野田湾「十府ヶ浦」~大唐の倉~三崎半島。
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