三陸ジオパークの北部北上山地~久慈市から野田村にかけては、白亜紀後期久慈層群に沿うように、花崗岩地帯が北北西から南南西に向かって広がります。
江戸後期北三陸の山間そちこちで「たたら製鉄」操業が行われていました。
久慈市小久慈町から、宇部町、野田村横合地区、普代村萩生・割澤、田野畑村、岩泉地区と北三陸は南部有数のたたら鉄産業地帯として継続して藩営・私営の製鉄産業が営まれ、一時期は出雲と並び江戸・大阪市場を二分する勢いを示しました。
今かつての「たたら操業地」を廻ってみると、ドバやマサの露出している場所を数多く確認できます。洋野町大谷鉄山跡一帯や野田村横合地区、普代村萩生地区、田野畑村沼袋地区などなど、独特な風景を見ることができます。
野田村小峠地区の花崗岩地帯~風化してマサ化してゆきます。これは、ひび割れの入り方が面白い感じで、動物?狐?の鼻先みたいですね~どうすればこんな割れができるんでしょう?
不思議ですね~?
気になるんですよね!存在感あり!
ネズミ男風(笑)
左手~谷の向こうは久慈市宇部町小倉地区、盛岡(南部)藩時代は同じ野田代官所の管轄でした。この周辺では 「ナメリ」、大披鉄山、小倉鉄山、大葛鉄山などが経営されている。野田村の屋号「橋場」の中野勘左衛門は水車ふいごを発明し九戸地方での普及に努めたという。
堂々たる「マサ」場!道の奥は、小峠地区~宇部町小倉~ナメリ~大葛間の人や物の行き来を注視するために人家が置かれた?ようです。
第1部たたら遺跡踏査図④久慈市、野田村~田村栄一郎著『みちのくの砂鉄いまいずこ』より
*10月13日台風19号浸水で(床上15cmほど)書架の一番下棚~湿ったまま気づかず写真不鮮明!ご容赦願います!
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