210112 「つぶた」「砥石が鼻」~高山彦九郎「北行日記」

 寛政2年(1790)旧暦9月16日、久慈から長内経由で宇部町川原屋敷~野田新山~五日町~一ツ橋~塩竈しおがま二つを見ながら須賀(十府ヶ浦前浜)を南に行く~山の鼻先を廻って更に南下

「~石多フく落重なりて有る所。絶壁にも石所々に落懸りて有り。爰ここをつぶた共砥石が鼻ともいふ。~」と健脚の高山彦九郎は北行日記にしるしている。


 「つぶた」共「砥石が鼻」とも言ふは何処か!


 「つぶた」は野田村土内口から浜に降り、玉川方向への浜一帯なんでしょうが「砥石が鼻」とは初耳でした。え~どこのことなんだろう?


 この石多フく落重なりて~落懸りて有り、待てよどっかで見たなあ~と彦九郎の文を読み、浜に降りて歩くと同じような景観を発見でした!


 何年か前にも、日本地質学会の巡検で平山廉教授やJAMSTECの梅津さん、高橋聡先生、GEOパーク専門員の白井さん達に同行させていただいた折、何だろうここは大きな岩が崖上に挟まって~常に落下しているようだ~ええ?不思議な場所と思ったのですが、彦九郎の言うのはこの辺りだったのです!

 京都など有名産地の砥石は、ガラス質を含む珪質頁岩(珪質分の多い泥岩が頁岩化)を利用しているようです。

©GSI Maps.島川

地質学会巡検~案内役はJAMSTECの梅津さん~2012年9月18日

 砂岩・凝灰岩質砂岩?がゴロゴロ、適度に隙間があり海藻が育ち易いのでしょう。


「つぶた」とか「あつい浜」とも言うようです。
 今はテトラポットが数多く投入されて、潮の流れが変わってしまいましたが、無数の貝や貝殻が集まります。

(2019年4月3日)

(2019年4月3日)フノリやアオサなど餌が豊富で貝類の密状態をよく見かけます。躍動の季節始まり始まり~(笑)

右奥に火山灰を含み白い地層も鮮やかな「大唐の倉」が見え、その手前の鼻さき周辺が「つぶた」「砥石が鼻」で白亜紀後期久慈層群國丹層になります。手前左丘陵上は三陸鉄道玉川駅一帯です。

 土内口から徒歩で行けるのはここまで、以前は玉川まで行けたのですが、十府ヶ浦の海岸線に構築物が増え、潮の流れが変わったんですね!

 太平洋戦争前に野田の高等科に通った遠縁は、海が荒れなければ玉川から海岸端を歩いたと言います!
 ガラス質成分の多いチャートや珪質頁岩は海藻が取っつきにくいのでしょう!

 砂岩?凝灰岩質砂岩?などに育つ海藻はジオの恵みなんでしょうね!

 しばしの間ここに庵を結んだという野田玉川「西行屋敷跡」を訪ね、その行き帰りに砥石が鼻を歩いたんですね!

北行日記(口語版)「高山彦九郎と琥珀の邦」 著者:田村栄一郎


 平成18年(2006)2月初版第一冊~令和2年(2020)12月第二刷


*久慈広域各市町村図書館に寄贈していますので、ご一読ください。


◎残部のお問合せは~久慈ステーションホテル内「くんのこほっぱ愛好会」事務局

 桑畑まで~0194-53-5281

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