再掲2017年6月10日・北三陸-geohistory~「碁石琥珀村」~久慈市

「碁石琥珀村」~嘉永2年(1849)八戸藩御領内地図にも記された琥珀多産地!

北三陸-geohistory

北三陸久慈市~「碁石琥珀村」

 久慈市枝成沢集落に碁石地区があります。昭和40年代までは10軒ほどの戸数で、つい最近まで集落には「枝成沢小学校」がありました。


 この碁石地区は、琥珀を産出する白亜紀後期(約6,600万年~1億500万年前)久慈層群の中でも多産地として有名でした。


 今でも、碁石地区のそちこちに無数の琥珀採掘場=「くんのこほっぱ」跡が残されています。

くんのこほっぱ~京のお香「薫陸香」材料の堀場から転化~native conversation👍

 かって、このガニ穴ホッパの上には「琥珀神社」が祀られていた。

 この看板は、由来を記した物。碁石総本家の持山で、神社の御披露目には、くんのこ堀り関係者など多くの人が集まったという。
 そして碁石大家でのお振舞いには、豪華な弁当が配られたと言う。

 今神社は跡形もないが、つい10数年前まで、朽ち果てた祠が残されていた。
 碁石琥珀は多産するが、SiO2二酸化ケイ素分が多く含まれ、脆さがあった。
 上の写真は碁石琥珀原石、二酸化ケイ素の白く薄い膜が見られる。
 それでも、太平洋戦争の戦時下にあって船舶、航空機の代用塗料=琥珀ペイントなどの原料として重用された。

 *昭和17年琥珀神社勧請記念~祠前に多くの人が集まり記念に写真撮影!

*くんのこ掘り棟梁~故碁石宗一氏と保管の碁石産琥珀

故碁石宗一氏の採掘用「片ツル」替え芯、タガネ、ゲンノウ=小ハンマー

 碁石大道の「水平坑」、狭い入口から中に入ると、手堀り開削の壁面に琥珀が散在する。

  このコウモリの種類は?「くんのこコウモリ」?!~「コギクガシラ~」?

 ハンドメイド~手掘り感いっぱい !!

 碁石ホッパを代表するすり鉢状のホッパ坑口、内部で別のホッパと繋がっている。

 昭和13年中の川(ヒカゲ畑)に理研琥珀工業㈱鉱業部の直営ホッパが稼働し、近隣から多くの人が来て稼いだと言う。(現場で働いたお年寄りの証言)

 八戸藩・盛岡藩の記録では江戸期に既に碁石琥珀の採掘が始まっていて、江戸後期特にも幕末には盛んに採掘が行われた。

 近隣の久慈市大川目町「外里遺跡」などでは、縄文時代中期の琥珀片が出土していることから、琥珀採掘と利用の歴史は古い。

 盛期は太平洋戦争前および戦時下で、まるでアンバーラッシュの如き状態で、我も我もと競ってくんのこ働きに手を挙げたと伝えられている。


https://kitasanriku-geohistory.themedia.jp/posts/2504670

北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。