190213 こたつ列車で行く北三陸の大地!~三陸ジオP北部ブロック会議

 2月13日(水)三陸ジオパーク北部ブロック会議主催、三陸鉄道㈱・NPO体験村・たのはたネットワーク後援の震災学習&ジオパーク体験ツァーがおこなわれました。


 参加者は43名、八戸市、階上町始めジオパークエリア各地から「こたつ列車」に乗車していただきました。


 今回の「こたつ列車で行く北三陸の大地!~震災学習&ジオ体験ツァー~」、広告紙で参加募集のところ、即座に地域の皆さん枠30名に達してしまいました。


 参加無料しかもこたつ列車を使った震災学習~震災遺構・明戸海岸防潮堤~北山崎~黒崎~普代水門~十府ヶ浦を巡るツァーですが、北部エリアに限らず三陸沿岸エリアから多くのご参加をいただきました。


 老若問わず、地域の皆さんがジオパークに親しむ機会を今後も提供してゆければ~そう思わせる人気企画となりました。


 この日11:00久慈市役所からバス乗車、三陸鉄道久慈駅を11:20に発車した「こたつ列車」北部ブロック会議事務局(久慈市観光交流課)のツァー行程案内の後、三陸鉄道運行本部・旅客営業課長の成ヶ澤亨さんのガイド役で田野畑駅までの1時間5分の震災学習をスタート。


 十府ヶ浦や安家川橋梁、堀内駅(袖ヶ浜駅)など要所要所で震災対応状況や各地点の復旧工事の様子・現状などなど~被災現場を体験した事からの貴重なお話を披露していただきました。


 500数十軒の全損壊となった十府ヶ浦では、三崎海成段丘や大唐の倉、津波から残った防潮堤そばの「東屋」や数十本のクロマツ~工事の続く防潮堤・宇部川川口水門の景観などを見ながら、車内で海に向かいしばしの黙とうを行いました。


 新設の「十府ヶ浦海岸駅」は、野田村米田集落入口にあり、鉄路復旧工事では既存の鉄道軌道内側に新しく防潮堤が設けられ、三陸鉄道路盤堤防も海側で急傾斜に、逆側は緩めの傾斜に四角桝のくぼみを入れて水の力を分散する仕組みとなっている。


 野田玉川駅は線路まで津波のしぶきが来たこと、徐行停車の安家川橋梁上からは被災当時の集落・漁港の様子、サケマス孵化場の度重なる被害などの解説がありました。


 次の普代村堀内駅は「あまちゃん」の北三陸鉄道袖ヶ浜駅で、北に見える久慈市宇部町の200m近い三崎海成段丘や青い海原を望むホーム上でしばし降車休憩、皆さん思い思いに記念写真を撮るなどくつろいでいただきました。


 2011年3月大津波直後、長い間燃えてくすぶり続ける堀内漁港の番屋・作業小屋・いろんな設備施設~破壊された漁村公園など、現在の復旧状況からは想像もできません。


 走り出した震災学習列車は「夏バッパ」が大漁旗を振った大沢橋梁下の沢向漁港~日本の秘境駅ランクインの「白井海岸駅=震災時三鉄車両が立往生の北リアス線駅」を通過し普代駅へ、大震災大津波から街を守った普代水門の話などするうち田野畑村入りのトンネル突入!

 ~ラジオや携帯ライト、通信手段の確保など日常心掛けておくべきこと(備蓄なども)の話をいただき「生きていれば互いに知恵を出し合って生きてゆける!安全な高い所に逃げること・生きることを大事にしてください!」今日の震災学習ガイド成ヶ澤課長の締めくくりを最後に車両は「カンパネルラ田野畑駅」到着となりました。


 ホームから三鉄車両と成ヶ澤ガイドへ感謝とお別れの挨拶後、いよいよ出迎えの「NPO体験たのはたネットワーク」さんの認定ジオパークガイド渡辺さん、上村さん、赤坂さん3人の先導で、久慈市バス乗車のジオツァー一行は、復興工事中の羅賀漁港や平井賀漁港手前の津波石、ヒラナメ海岸を経由し6~7分で震災遺構「明戸海岸防潮堤」跡に到着した。


 食事・宿泊処「ひらいか海荘」さんから一望の海岸に遺構が保存されていて、陸側に新設された県道部分が新らしい防潮堤となっている。


 一行は渡辺ガイドのグループ、上村ガイドの案内する2グループに分かれて、被災遺構や津波の破壊力・高さ、明戸地区の震災直後の状況などを実見した。


 上村ガイドが明戸海岸を襲った約17mの津波の高さを、グラスファイバーロッドをつないで示してくれた。ひらいか海荘さん前の県道に達しようとする勢いで、それにしても頭上はるかな高さには驚いた。


 思わず天を仰いで~どうしようかと念じてしまった!「聞くだけ」と「聴いて観る」では大違い!


 ストーリー·テラーは、現場に立ち~聴いて観じたことを伝える、人に伝えるための工夫・熱意が大事と思いました。


 明戸海岸後は、弁天崎、机浜番屋群を確認しながら北山崎到着、昼食は「白花しゃくなげ荘」さん、体験村たのはたNWさんの計らいで閑散期の食堂を開けて食事提供していただきました。

 

 突然の団体客で、経営者の泡渕さんにはご苦労かけたことと思います。

 三陸鉄道開業の昭和59年以前、当時22歳の好青年が始めた「白花しゃくなげ荘」~あれから35年~好青年も50代後半となり、姿勢表情もいたし方ありませんが年相応となってきました。


 陸中海岸国立公園が北部へ拡大し、田野畑村の羅賀荘や島越番屋が営業、北部陸中海岸有料道路開通、国民宿舎くろさき荘オープンなどなど、そして三陸鉄道開業に沸く北三陸、一人の青年が夢を持って始めた経営が昭和~平成~次の元号へと続く、当地で観光が生業として持続可能なことを身をもって示してきたと言えます。


 お隣の「北山崎レストハウス」(認定ジオガイド熊谷さん経営)と共に、北山崎観光の先駆けとして地域を元気づける効果が充分にありました。


 昼食後は、再び渡辺・上村両ガイド案内で北山崎から南の絶景を展望確認・北山崎ビズィターセンターでプロモーションビデオを上映していただき周辺環境・四季の表情など学びました。


 この日の午後は曇り空でしたが、北山崎のはるか南に宮古市「重茂半島」の山並み~半島突端に向かって急傾斜する地形が観察でき、手前の真崎?姉ヶ崎?なども確認できました。


 14:30田野畑を案内していただいた認定ジオパークガイド渡辺さん・上村さん・赤坂さんにお礼と別れのあいさつを交わして、ここから更に北上~普代村黒崎展望台から北部北上海成段丘地帯を時折吹き抜ける強風の中で確認し、高さ15.5mの太田名防潮堤・普代水門が街を守ったことや~野田十府ヶ浦「ほたてんぼうだい」から大震災・大津波被災状況、そして復興の現状など確認し、16:00過ぎ久慈市役所到着·解散となりました。

平成31年2月14日付 岩手日報社さん掲載記事

三陸ジオパーク北部ブロック会議事務局(久慈市観光交流課)行程など案内

震災学習ガイド・三陸鉄道運行本部の成ヶ澤課長=8年ぶりの久慈勤務なそうです。

パネルで野田十府ヶ浦一帯の震災前と震災直後の様子を比較!

黒崎の左奥(南)に北山崎が位置します。

正面に3・11津波から残ったクロマツ~東屋!左奥に宇部川河口の工事中水門、その奥白と茶褐色の堆積地層が「大唐の倉」=野田層群が見えます。破壊された防潮堤復旧の工事が続きます。ここは、かつて見渡す限りの「クロマツ林」でした。


 東屋は、大津波を被ったもののある程度の高さと土台のマウンドが丸く緩やかに形づくられていたためか、曳き波時のガレキや建物・構築物の衝突を免れたのかもしれません!

 十府ヶ浦海岸駅そばの防潮堤=三鉄路盤内陸側のゆるい傾斜と桝型構造、新設防潮堤と二重の津波対策。

 民家は米田集落のR45号・三鉄側地区。

 野田村~普代村堺の安家川にかかる三陸鉄道橋梁から確認できる三陸沿岸道路の橋梁工事、サケマス孵化場、川沿いの集落。


 明治29年の三陸大津波では、大きな損害と多数の犠牲者が出ました。3・11東日本大震災でも川沿い低地の殆んどの家屋・建造物・作業小屋などがガレキと化し、漁港設備・孵化場も損壊する大きなダメージとなりました。

 普代村堀内駅=北三陸鉄道袖ヶ浜駅からの眺め~久慈市宇部町一帯の三崎海成段丘

 大震災後に寄贈された車両が今日は「こたつ列車」として運行されています。

 初参加のニコラス君(階上町~USA)観光やジオパークで域内交流も進めたいものです。

 12:25田野畑駅到着!

 震災遺構「明戸海岸防潮堤」到着~渡辺ジオガイド、上村ガイド2グループに分かれ見学。

 左奥県道上に「ひらいか海荘」さんが見えます。

 13日以前に撮影~見学当日は積雪となっていました。

 遺構や明戸地区の震災被害について語るジオガイド=上村さん

 左奥の明戸川水門に続く防潮堤の損壊状態を確認!

 三陸ジオパーク設置の震災被災状況~遺構説明

 大津波の波高約17mの高さを、グラスロッドを使って確認する!すごい!

 明戸川川口水門跡(左手看板奥)

 お昼は北山崎の「白花しゃくなげ荘」さんでいただきました!

 食後は北山崎展望台へ。

 この日午後は雲が出始め、おぼろげながら宮古・重茂半島が確認できました!

 この断崖美~いつ見ても来ても~絶景!迫力十分。 

 展望台から波打ち際まで1099段!

 突端に向かって急傾斜する重茂半島が見えます!

 普代村東日本大震災記録誌~街を大津波から守った「普代水門」

 太平洋戦争後、北三陸の小さな漁村の発展に尽力した故和村幸徳村長~在職中には陸中海岸国立公園の北部への拡張、旧県庁舎部材を活用した「国民宿舎くろさき荘」開設、陸中海岸有料道路の開設、普代水門・太田名部防潮堤建設・三陸縦貫鉄道建設促進・無医村解消・漁港設備の充実などに尽力した!


 平成25年普代水門側に村民有志による「顕彰碑」が設置されています。

 三陸ジオパーク北部エリアで、大半の市街地が大津波に呑込まれ、村内外37名の命が奪われた野田村、震災直後の街並みはガレキの中に建物が傾き、流され、流失した惨状は信じられないことでした。


 5000本以上のクロマツ林に囲まれた風光明媚な「十府ヶ浦」に続く、江戸時代から形成された街並みも殆んどがガレキと化したのです。


 今は、復旧・復興工事が続き、三重四重の防潮提機能で街を守る仕組みが工夫されています。

 ただ、大津波は忘れた頃にやってきます。


 十府ヶ浦南の米田・土内浜で発見された約7000年間に18層に及ぶ津波堆積物の層序は、三陸沖から・千島海溝側から両方面の警戒を怠るな!という警鐘です! 


 大地震と津波警報を知りながら、R45号走行中に車両ごと犠牲になられた方もおります。


 「命を無駄にしない!津波が来たら、とにかく高い場所へ逃げる、命を守ることに最善を尽くしましょう!」

 三陸鉄道北リアス線~最後の乗車証明書!3月23日久慈~盛間全線開業後は「リアス線」に名称が変わります。

北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。