210418 海成段丘「広野面」

 先月ひさしぶりに久慈市街地北側丘陵の(久慈川左岸、夏井川からすると右岸)海成段丘「広野面」を見てきました。


 陸中海岸北部のかつて海だった部分が約10万年単位で上昇、かつての海底が「広野面」という標高200m~220m位の段丘面を形成しています。


 この広野面は北側の洋野町大野方向にも見られます。広野面の高位には「水無面」、低位には三崎面などもあります。


 天気が今一でしたが、桜満開水仙も盛期で久慈市枝成沢地区広野の山田さん?でしょうか、もう20年以上前から水仙など花々を手入れされているようです。綺麗な花をありがとうございます。

20210418©Shima

 久慈市枝成沢地区広野の段丘平坦面~正保元年1644「久慈広野御野馬別当助右衛門御役儀~」(盛岡藩雑書)と記され、八戸藩成立後も例えば享保八年1723「久慈広野御野馬八十七疋ひき、内三十壱疋当才」(久慈市史~八戸藩日記)など、以後数十疋から五十疋くらいが放牧されていたようです。


 広野牧で育成された馬の中には、城中や参勤交代時に使われた馬もあったと聴きます。


 残念ながら文化元年1804七月二十五日の条には「久慈広野御野馬休野~」となり「御野は枝形(成)沢村、碁石村、野場村、右三ヶ村御百姓共一統江御預」け仰せ付けられ~となった。(八戸藩勘定所日記)


 狼が出没するため鉄砲の借用願も記録され、標高200m強の段丘上で御野馬を放牧する苦労が想像されます。 

 右奥の小高い部分が広野面「海成段丘」、この田沢川は枝成沢(左奥)・長久保などから久慈川へと流入する。

 左手は大川目町田中、右手は山裾も入れて畑田地区。210430

広野面から北を望む。

 桜満開でしたが、あいにくの曇り空と風!     (210418)

 久慈川右岸川貫から~左奥小高い部分に広野面が拡がり、この丘陵は東に伸び久慈湾に臨みます。(210430)

 久慈市夏井町生平・陽当り良好な斜面から~右手が広野面の続き、緩やかに久慈湾へ鼻をだします。

 眼下は久慈湾に注ぐ夏井川、左奥が湊町、夏井町閉伊口、大崎方向。(210430)

 広野から枝成沢中村へ降る途中、西南西方向にひと際高い山、安家森か遠別岳か?平庭岳か?きれいな型ですね!210418


北三陸geo-history

三陸ジオパークの北部=八戸市~久慈市~宮古市を中心としたジオパーク関係情報です。