2011年3月11日 東北太平洋沖地震・大津波災害で野田村の街区は防潮堤を越えた津波により、500数十軒の建物家屋が損壊を被り、残った中心商店街のほとんどが床上浸水の被害となり、未曽有の天災となった。名勝「十府ヶ浦」を望む国道45号線脇高台の食堂、民宿などもことごとく損壊し、痛ましい死者を出す惨事となった。
震災後かつての住民はさらに高台に新居を構え移転し、国道から住居のある丘陵中ほどに、この慰霊鎮魂の「大津波記念碑」が建立されている。この丘陵上は十府ヶ浦南端を眺望できる展望園地となり、南に下れば三陸鉄道の新設「十府ヶ浦海岸駅」へとつながる。
3・11大震災大津波の時は、多くの人たちが丘陵斜面を駆け上がって難を逃れたと聴く。斜面を遡上する波が30数mに達したことは驚きだった。
古来よりこの穏やかで風光明媚な「十府ヶ浦」の風景は多くの人々に称賛され、歌にも詠まれてきたが、明治~昭和~平成と地震に伴う津波災害は多くの犠牲を代償にしながら現代の北三陸の風土を形づくってきた。願わくは、二度と多くの犠牲を出さずに、この風土が未来へと続くよう、鎮魂の思いを深くしたいものだ。
今年は4月中旬には気温も上昇し、例年より早く桜の開花も始まったが、22日から日中10度前後の低温が続き23日(月)は午後から冷たい風が吹きつけ、夕方にはしのつく小雨となった。
野田湾の北、久慈市宇部町の三崎海成段丘には本格的なダークグレーの冷たい霧の流れが内陸に向かう「やませ」とは違うが、やや厚めの白っぽい雲が層をなし「親潮」の勢いを感じさせる。
明日25日は予想最高気温7℃と3月半ばの気候となりそうだ。これが過ぎてやっと春爛漫か、桜花も一斉に謳歌するか、或いは早くも散り際となるか、何とも微妙な「北と南のせめぎ合い」が続く。
久慈市宇部町の三崎半島(標高約180m位の海成段丘地帯)にかかるやませ風の雲
大津波前は国道45号東脇の綿津見神社にあった「津波記念碑」が曳き揚げられ移設された。
明治・昭和・平成と大津波に見舞われた三陸海岸、特にも明治29年の大津波は甚大な被害であった。
「ほたてんぼうだい」その名のとおり屋根の形が「帆立」仕立て!
三陸鉄道「十府ヶ浦海岸駅」に連なる丘陵上からの眺望、約3kmにわたる砂浜と白い傾斜の野田層群「大唐の倉」=新生代古第三紀層
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